※※「2023/6/26」超重要お知らせ※※
※※LINEアカウント変更になった!※※
※※ここをタップで新アカウントを追加※※

今村豊が引退!ボートレース界のレジェンド今村選手が引退発表!ボートレース殿堂内定決定!今村豊が引退の情報まとめ

今村豊が引退アイキャッチ

今村豊(いまむらゆたか)選手が引退

今村豊(いまむらゆたか)選手のプロフィール

今村豊が引退3

出身地 山口県
生年月日 1961年6月22日
身長 162cm
体重 50kg
血液型 A型
所属 山口支部
登録番号 2992
登録期 48期
級別 A1級
デビュー日 1981年5月7日
選手引退日 2020年10月8日
SG優勝 7
GI/PGI優勝 48
通算優勝 142
通算勝利 2880

今村豊(いまむらゆたか)選手が引退を発表

今村豊が引退2

ボートレース界のレジェンド今村豊選手が引退を発表した

公式サイト引用

今村豊が引退5 今村豊が引退6

ボートレース界のレジェンド 今村豊選手(59歳)が引退

登録第2992号 今村豊選手(山口支部)は、本日10月8日をもって引退しました。今村選手は、1981年にデビューし、1982年のSG第9回ボートレースオールスター(住之江)では初出走から360日でSG初出場、また1984年に開催されたSG第11回ボートレースオールスター(浜名湖)では、初出走から2年11か月でSG競走に初優勝、この記録はいまだに破られていません。
また、これまでSG競走の優勝戦に47回出場し、そのうち7回優勝、G1競走では48回優勝、そして当時53歳で出場した2015年のマスターズチャンピオン(児島)では、完全優勝を達成するなど、50歳を超えてもなおビッグレースで優秀な成績を収め、今日までに積み重ねた勝利数は2880勝、優勝回数は142回、生涯勝率は7.76と、まさにレジェンドとしてボートレース界を牽引してきました。
引退に際して開催した記者会見で今村選手は、「ファンの皆様、関係団体の皆様には長い間大変お世話になりました。また、全国のファンの皆様には多くのご支持、ご声援を頂き本当にありがとうございました。過去の競走を振り返り、1984年に開催されたSG第34回ボートレースダービー(平和島)で優勝した際、笹川良一会長、橋本龍太郎運輸大臣(当時)から表彰を受けたのが大変印象に残っております。そして、デビューした徳山のG1で引退を迎えることができたのは、非常にうれしかったです。これからは、のんびりとした人生を過ごしたいと思います。最後にファンの皆様、関係者の皆様どうもありがとうございました。」と語りました。

主な選手のコメント

<3159 江口 晃生 選手>
「今村選手は、私にとってボートレーサーとしての目標であり、憧れの存在でありました。また、これまで数々の記録を達成され、まさにボートレース界のパイオニア的な存在でした。同世代ながらずっと、あこがれていた選手だけあって引退は非常に残念です。」

<3783 瓜生 正義 選手>
「今村選手には、ボートレーサーとしての考え方、姿勢をお手本にさせて頂きました。まだまだ人生は長いので、第二の「今村豊人生」を楽しんで下さい。今まで本当にお世話になりました。」

<3897 白井 英治 選手>
「師匠として私をここまで育てて頂きありがとうございました。これからは、今村選手が成しえなかった賞金王になることを最高の恩返しとして日々精進したいと思います。師匠、愛してます。」

<3942 寺田  祥 選手>
「40年間の現役生活お疲れ様でした。仕事面では多岐にわたりご指導頂き、まだまだ教えて頂きたいこともありましたが、引退されることで叶わぬこととなってしまい非常に残念です。」

<4168 石野 貴之 選手>
「59歳までトップとしてSG等で活躍され、とても真摯に仕事に取り組んでおられました。ボートレーサーとしてのお手本であり、偉大な方でありました。第二の人生も身体に気を付けてすごして頂きたいです。」

<4238 毒島  誠 選手>
「今村選手は、子供のころからずっとスター選手でした。ボートレーサーとして一緒に走らせていただいて非常に勉強になりました。また仕事に向かう姿勢も非常に心に残っています。これからも今まで通り、笑顔の絶えない人生を送ってほしいです。」

今村豊選手の引退会見はYouTubeで生配信された!

今村豊選手のYouTubeでの引退会見

今村豊が引退7

また、このことは各メディアでも大きく報じられた

ORICON NEWS

ボートレース今村豊選手、引退を発表 SG優勝7回&生涯獲得賞金30億円弱のレジェンド

ボートレースの今村豊選手(59)が8日、東京・六本木のBOAT RACE 六本木 SIX WAKE HALで記者会見を行い、引退することを発表した。

山口県出身の今村選手は1981年5月にデビュー。「今村全速ターン」と呼ばれる全速ターンを身に着け、デビューから破竹の勢いを見せて“コーナーではスピードを落とす”という当時のボートレース界の常識を塗り替えた。24年目の2004年には、公営競技選手初の生涯獲得賞金20億円を突破した。39年の現役生活で通算2880勝、通算優勝回数は142回、SG優勝回数は7回、生涯獲得賞金は29億4144万6172円と歴史に残る活躍をした。

ファンや関係者への感謝を語った後に引退を決めた理由を語る。最低体重が51キロになったことから体調管理に苦しんできたという。11月からは最低体重が52キロになり「限界を感じた。今季限りかなと思った」と明かす。引退レースはデビューの地でもある徳山で9月に行われたGI『ダイヤモンドカップ』だった。「引退を徳山の記念レースでできたのは幸せだったと思います」と振り返る。そして「けがなくやってこれた。本当にいいボートレース人生だったと思います」と感謝した。「初めて勝った平和島のダービー」が印象深い1勝という。感無量の表情で「きょう、こうして引退をしました。肩の荷が下りたようなホッとしている自分がいる。これからはゆっくり、のんびりと生きていきたい」と胸の内を口にした。

ボートレースファンの坂上忍もメッセージを寄せた。「ずっと今村選手を追いかけ続けてきました。今でも、そうです」と告げると「これまで、ありがとうございました。いい夢もたくさん見させていただきましたし、たくさん損もしました(笑)。ただ、それもこれもすべていい思い出になっております」とねぎらった。親交のある今村選手は「ずっとファンでいてくれたのは、本当にありがたい。時の人ですから私のファンでいいのかと思いますけど…。坂上さんにテレビの方で活躍してもらいたい」と伝えていた。

元選手である妻に伝えたのは徳山での前検の2日前。「以前から体重で苦労していた。うすうす『体重が変わったらやめるかもな』程度の話をしていた。『次の徳山でやめる』と言いました。女房は二つ返事で『はい』と。あとは何も言いませんでした」と明かした。ラストランは5着。「正直に言いまして、レースにはならないだろうなと思っていた。とにかく正常にスタートして、正常にゴールすることだけを考えていました。ファンの皆様に本当に申し訳ないですけど自分の中では着順度外視。ちゃんとゴールする姿だけは残したいなって思いました」と正直に語った。

現役で貫き通したものを問われると「人にぶつかっていかないという自分のレース形態は最後まで崩したつもりはありません。操縦ミスでぶつかることは多々ありましたけど、意識的に手段を選ばすにやってきたということはありません。それだけは39年とちょっとは貫き通せたかと思います」と胸を張った。

40代前半にメニエール症候群を患い、引退もよぎったが発作も収まり、現役を続行。唯一と言っていい取れていないタイトルが賞金王。「取れたら取りたかった。チャンスもいくらでもありましたし…。これも今村豊の人生かな。それで取れていたら何もかも面白くなくなる」と笑いながら「白井英治が代わりに取ると言っていますし、私の夢を英治につないだ」と愛弟子へ宿願を託した。「やり残したことがあったらやめていない。満足感でいっぱい」と晴れやかな表情を見せ、ボートレースとはと問われると今村は「私の人生そのものです」と即答。“ミスター”と呼ばれたボートレース界のレジェンドが水面から去る。

会見の最後にはボートレース振興会から発表があり、引退したボートレーサーを対象とした「ボートレース殿堂」の第1号に今村選手が内定したことも明かされた。

東スポ

ボートレース界の〝レジェンド〟今村豊が電撃引退!

日本モーターボート競走会は8日、今村豊(山口=59)の選手登録消除、すなわち引退を発表。東京・港区六本木の「BOAT RACE六本木」で緊急会見を開いた。

〝プリンス〟、〝天才〟などの異名を取ったボートレース界の革命児が、いよいよ、そのレーサー人生に幕を引く時が来た。最後のレースとなった9月末の地元・徳山GI「ダイヤモンドカップ」は節間、未勝利に終わったものの、現在、期末を迎えつつある2021年前期級別審査でもA1級ラインはクリアする勝率6・49の成績を残していただけに、この突然の引退劇を惜しむ声も多い。

今村は1981年5月にBR徳山でデビュー。いきなり初出走で初勝利を挙げると、半年後の初の級別格付で即、A級に昇級。95年にA1・2級制導入以降も51期連続でA1級をキープ。艇界最長となる39年間、連続78期、ただの一度もB級陥落がないまま現在に至った。このほかにもSG最短出場、同優出、同優勝や、GI最短Vなど、数々の艇界レコードを樹立してきた。

その間、通算2880勝(歴代7位)、優勝142回(同3位)で、GIは48V。SGも7Vを達成。生涯獲得賞金は歴代第2位(1位=松井繁=38億1200円強)となる29億4144万6172円と、常に艇界トップを走り続けてきた〝スーパースター〟だった。

ボートレース界のレジェンド今村豊選手
俺も何回も予想でお世話になったなー
現役引退お疲れ様でした!

今村豊(いまむらゆたか)選手BOATRACE殿堂入り第1号に内定

今村豊が引退1

今村選手の引退を受けて新たにBOATRACE殿堂が設置され、その第1号に内定が決定した!

公式サイト引用

今村豊が引退4

今村豊元選手をBOATRACE殿堂(仮称)入り第1号に内定!

一般財団法人BOATRACE振興会(東京都港区六本木 会長 小髙幹雄)は、「BOATRACE殿堂(仮称)」の殿堂入り第1号を登録第2992号今村豊元選手とすることを内定しました。
なお、殿堂入りの対象はモーターボート競走の呼称を「BOATRACE」に変更して以降引退したボートレーサーとなり、BOATRACE振興会の選考委員会を経て正式決定となる予定です。

今村豊(いまむらゆたか)選手引退についての世間の反応

今回の件についての世間の反応をTwitterからまとめてみた

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)