赤岩善生選手の紹介
今回は赤岩善生選手の紹介をしていくぞ!
赤岩選手は航空自衛隊出身のボートレーサーだ。
なかなか自衛隊出身の競艇選手っていないよね
そして赤岩選手は格闘技に精通している。
空手、銃剣道、柔道の有段者だ。
この経験と体幹の良さを思い切りボートレースに活かしている。
俺
赤岩善生選手のプロフィール
赤岩善生(あかいわよしお)
生年月日:1976年2月8日
出身:愛知府
支部:愛知
登録番号:3946
級別:A1級
登録期:82期
血液型:A型
1998年5月15日、常滑競艇場でデビュー(5着)。
1999年12月5日、下関競艇場での一般競走で初優勝。
2004年11月16日、丸亀競艇場での新鋭リーグ第21戦で完全優勝。
2006年12月24日、住之江競艇場での賞金王シリーズ戦でSG初優勝。
2007年1月9日、蒲郡競艇場での「ビクトリーチャンネル杯」で2度目の完全優勝。
2009年8月2日、津競艇場での「津グランプリシリーズ第3戦」で3度目の完全優勝。
2009年11月8日、桐生競艇場での「GIモーターボート大賞」でGI初優勝。
2009年12月15日、下関競艇場での「テレボートカップ」で完全優勝(完全優勝は4回目)。
2010年2月7日、常滑競艇場での「GI東海地区選手権」で2度目のGI優勝(記念3回目)。
2010年8月1日、戸田競艇場での一般競走の優勝戦でデビューわずか12年2ヶ月と17日の短期間で通算1000勝達成。
2010年11月10日、戸田競艇場での「GI戸田グランプリ」で3度目のGI優勝(記念4回目)。
2011年12月14日、蒲郡競艇場での「GI第57回東海地区選手権」で4度目のGI優勝を飾る(記念5回目)。
2012年4月8日、蒲郡競艇場での「GIオールジャパン竹島特別 開設57周年記念」で5度目のGI優勝を飾る(記念6回目)。2号艇、2コースからの差しであり、これまで記念では1号艇での勝利しかなかった。
2012年11月14日、常滑競艇場での「GIマーメイドグランプリ 開設59周年記念」準優勝戦でスタート事故、GI・GII競走3ヶ月の斡旋停止になり、このレースは自身も含めて5艇がスタート事故により競走不成立になった。
2018年4月18日、江戸川競艇場で優勝し、史上21人目となる全24場場制覇を達成した。
2019年1月14日、多摩川競艇場で開催されたファン感謝3days ボートレースバトルトーナメントで大会史上初となる完全優勝を達成する。なお完全優勝挑戦は10回目(96年以降単独1位、2位は9回で今村豊、白井英治)、達成も10回目(同単独1位、2位は9回で今村豊)
赤岩善生選手が競艇選手になったきっかけ
赤岩選手は小さいころはいじめられっ子だったらしい。
全然想像つかないけどw
というのも、父親の仕事の都合上引っ越しが多くて、転校転校の繰り返し。
友達も全然できなかったらしい。
いじめられたのをきっかけに空手をはじめた。
空手を通して今の赤岩選手の性格が出来上がったという。
負けず嫌いでケンカ好き。不良と言われる人種だな。
家出もしまくった。
そして高校卒業後に航空自衛隊に入隊。
しかし1年で退職。
職を転々として、20歳の時に競艇に出会った。
当時の養成所の年齢制限は20歳。
ギリギリで合格し今に至る!
赤岩善生選手のレーススタイル
赤岩善生選手は、基本的にオールマイティ。
そしてガツガツインに入ってくるレーススタイルだ。
負けず嫌いの血が騒いでるって感じのレースをする。
平均スタートタイミングは0.16でSG選手の中では普通。
そして6コースが苦手なのか、スタートタイミングが遅くなる。
もちろん勝率も落ちる。
ちなみに赤岩選手は競艇場で笑顔を見せないことで有名だ。
俺
赤岩善生選手、負けず嫌いのエピソード
養成所でのエピソードだ。
養成所最後の卒業レースでの話。
赤岩選手は足を怪我してレースに出られないという状況だった。
このレースは試験なので、出られないと卒業できない。
赤岩選手はどうせ卒業できないとふてくされていた。
そこに教官が来て、お前らしくない、と言ったそうだ。
そこで負けず嫌いな赤岩選手は、大きな怪我にも関わらずレースに参加。
そしてすべて1着で走り切ったという。
俺